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大阪高等裁判所 昭和56年(う)695号 判決

主文

本件控訴を棄却する。

理由

本件各控訴の趣意は、神戸地方検察庁検察官検事山本喜昭作成の控訴趣意書記載のとおりであり、これに対する答弁は、弁護人垣添誠雄外九名共同作成の答弁書記載のとおりであるから、これらを引用する。

控訴趣意第二、一(事実誤認の主張)について

論旨は、要するに、「被告人西岡勝範は、全国自動車運輸労働組合大阪地方本部関西地区生コン支部副委員長、同武建一は、同支部書記長、同坂本絜は、同支部近畿生コン分会分会長であるが、被告人ら三名は、昭和四八年一一月二〇日午後三時四〇分ころ、神戸市灘区灘浜町一番一号所在関西小野田レミコン株式会社神戸工場において、同会社代表取締役志田貞夫が同工場敷地内の平尾運輸株式会社レミコン営業所事務室内にいるのを認めるや、前記関西地区生コン支部所属の組合員約五〇名と共謀のうえ、やにわに右志田の前後左右からその両手足を掴んで持ち上げ、同人の身体の自由を拘束して逮捕し、右事務室から同工場レミコン事務所内まで約二〇メートル連行したうえ、同所で右組合員らとともに同人を取り囲み、同人の着用しているネクタイを引張ってその首を締め、あるいは、同人の頭部、前額部を小突くなどの暴行を加え、『組合つぶしについて釈明しろ。』、『そろばんの上に座らせるぞ。』などとこもごも怒号し、更に同人を同所応接室内に連れ込み、被告人三名において『社長、出荷減らしをしないと約束しろ。』『他に流している注文を尻無川に戻せ。』と執ように申し向けるなどし、もって同人を威圧し続け、よって同日午後七時ころまでの間、約三時間二〇分にわたり、多衆の包囲と威圧により同人の脱出を不能ならしめてその自由を拘束し、同人を不法に逮捕、監禁したものである。」との本件公訴事実に対し、原判決は、右公訴事実中平尾営業所からレミコン事務所に至るまでの逮捕連行の点について、「被告人武及び同西岡ら組合員らは互に意思相通じて、平尾営業所の西出入口から、出るまいとして抵抗する志田貞夫を押し出し、取り囲んで約一二メートル余離れたレミコン事務所へ連れ込んだ。」と認定して逮捕連行の事実を否定し、またレミコン事務所における監禁の点について、午後三時四〇分ころから午後七時ころまでの約三時間二〇分にわたり、志田貞夫を同事務所内からの脱出を著しく困難な状態に陥らせて監禁した事実を認めながら、その態様に関し、「組合員らが、口々に『何とかいえ。釈明せい。しぶとい奴や。』とか『なんとかいえ。唖か。』等と大声を張りあげ、被告人坂本においても『お前が兵糧攻めをやっているんで妻子は苦しい。どの位苦しいか教えてやろうか。』とか『そろばんに座らせてやろうか。』などと威圧的文言を発した。」にすぎないと、各暴行事実を否定して縮少認定したが、これは、いずれも、証拠の評価、取捨選択を誤った結果、事実を誤認したものであり、右事実誤認は判決に影響を及ぼすことが明らかである、というのである。

よって、所論にかんがみ、原審記録及び証拠物を調査し、当審における事実取調の結果をも参酌して案ずるに、所論指摘の各点に関する原判決の事実認定は、すべて十分にこれを首肯することができる。

以下時間的経過に従い、一、前記関西小野田レミコン株式会社神戸工場(以下関西小野田レミコン株式会社を単に小野田レミコン又は関西小野田レミコン、関西小野田レミコン株式会社神戸工場を単に小野田レミコン神戸工場又は神戸工場ともいう)内平尾運輸株式会社レミコン営業所事務室(以下単に平尾事務所ともいう)から同工場内小野田レミコン事務所(以下単にレミコン事務所ともいう)に至るまでの状況、二、レミコン事務所内における状況に分けて、所論に対する判断を示すこととする。

一、平尾事務所からレミコン事務所に至るまでの状況

本件被害者とされている原審証人志田貞夫は、右の状況について公訴事実に沿う供述をし、平尾事務所内に被告人坂本を含む被告人ら三名ほか二〇名ないし三〇名の全国自動車運輸労働組合(以下単に全自運ともいう)大阪地方本部関西地区生コン支部(以下単に全自運関生支部ともいう)の組合員が乱入し、自分の周りを取り囲んだこと、ことに被告人坂本が最もひどい野次を飛ばしていたことを明確に記憶していること、氏名不詳の四・五名の組合員から膝や肘で頭、胴、肩、腕等を小突かれたり、組んだ足を払われたりしたこと、一五分か二〇分後に被告人武がレミコン事務所に行こうと言ったので拒否して自らその場に座り込んだところ、右腕を被告人武が、左腕を四・五人の組合員が持って立たせようとしたが、なおも抵抗すると五・六名の組合員に尻、股のところを持ち上げられ、座った格好のまま宙に浮いた状態で平尾事務所西出入口から運び出されそうになったので、右出入口の上の桟にしがみついたがこれもはずされてそのまま運び出され、さらにレミコン事務所に至るまでの中間地点付近で体をゆすったところコンクリート舗装の地面に落ちたこと、そのまま尻餅をついた状態でいたところ、約二、三分後に組合員七・八名に高さ一メートル位にまで胴上げのような状態で身体が水平になるようにかつぎ上げられ、そのままレミコン事務所に運び入れられたこと、以上の事実を供述しているのである。

一方、全自運関生支部所属の組合員である原審証人佐藤仁、同木村文作、被告人武、同西岡らは、いずれも原審公判廷において、平尾事務所は内側から施錠されていたため、同事務所従業員に錠を開けてもらい中へ入った組合員は合計で六・七名にすぎなかったこと、同所で被告人武が志田に対し尻無川工場における不当労働行為について釈明を求めたところ、志田は関係ないと回答を拒否し、そのうち平尾運輸株式会社レミコン営業所(以下単に平尾営業所ともいう)長中司和之が出て行けと怒鳴るので、被告人武において、レミコン事務所で話し合おうと言うと、志田が椅子からずり落ちるように床に座り込んだこと、これに対し被告人武が志田の肩のところをポンポンとたたいて、向こうへ行きましょうと言ったり、佐藤仁がやはり手を差し伸べて肩のあたりをさわると、志田は「わしの体にさわるな」と言って立ち上り、先頭に立って平尾事務所西出入口から出て行ったこと、ところがレミコン事務所に至る中間地点付近で突然志田が自らコンクリート面に座り込んだので、ヘルメット姿の小野田レミコン従業員一〇数名と組合員ら一〇数名がその周りに集ったこと、組合員らが子供じみたことをするななどと口々に言い、二分後位に木村文作が「早う解決せい」と志田の左肘をちょっと押したところ、「さわるな、全自運と徹底的にやる」と言って自ら立ち上り、先頭に立ってレミコン事務所に入り、そのあとに続いて組合員や小野田レミコン従業員らが入り乱れて同事務所内に入り込むという状況になったこと、以上の事実をそれぞれ供述し、レミコン事務所に行って交渉を継続することをいやがる志田を、二度、三度と強く促して、結局レミコン事務所に赴かせるような事実があったことは、これを認めているが、志田の供述するように同人の身体を拘束して連行するような事態があった事実は、これを強く否定しているので、以下小野田レミコンないし平尾営業所の各関係者の供述をも加え、志田証言の信用性を中心としてこの点につき検討する。

1、まず志田が、平尾事務所内に組合員二〇ないし三〇名が乱入し、そのなかに被告人坂本がいて特にひどい野次を飛ばしており、さらに組合員四・五名から小突かれたり足を払われたりしたと供述している点は信用しがたいと認められる。

すなわち平尾営業所長であった原審証人中司和之は、平尾事務所は、本件発生したころ全自運の組合員に入られないよう出入口を施錠していたこと、錠を開けてもらって同事務所内に入った組合員は合計五・六名であって、そのなかにかねて顔見知りで、当日も同事務所外で言葉を交したこともあった被告人坂本がいた記憶はないこと、組合員と志田とのやりとりを約四メートル離れた応接セットに座って見ていたが、言葉による激しいやりとりがあった以外には、志田が姿勢が苦しかったためか足を組み替えるときに組合員に足があたり、蹴ったとか蹴られたとかの追求があったことしか記憶していないこと等の事実を供述しているところ、同人が平尾営業所長として右事務所全体を管理する立場にあったこと、同人は被告人坂本とはかねて顔見知りであって、志田の供述するように被告人坂本の言動が目立ったものであれば五・六名の組合員のなかに加わっていた同被告人を見落すとは考えられないこと、及び同証人が比較的近い位置で被告人西岡、同武らと志田のやりとりを目撃していたことの各事実に加え、同証人は、志田がその当時代表取締役をしていた関西小野田レミコン神戸工場の製造するレディミクストコンクリート、いわゆる生コンを専属的に輸送する平尾運輸株式会社の管理職の地位にあって、被告人らにことさら有利な供述をするとは考えられないことをも考慮すると、同証人の供述中、被告人らの前記供述に符合する部分、すなわち平尾事務所内に入った全自運関生支部の組合員はせいぜい六・七名であって、その中に被告人坂本は加っておらず、組合員らが志田を小突いたり足を払ったりしたことはなく、志田が足を組み替える際に組合員らに触れたために言葉の上での悶着があったにとどまると供述している部分の信憑性は極めて高いと認められる。

これに対し、後に本件に至る経緯で認定する如く、志田は、本件以前から全自運に対し強い対抗意識を有していたと認められる者であり、しかも、被告人坂本とは本件当日が初対面であって、本件についての志田の捜査段階における供述には平尾事務所内における被告人坂本の存在に触れた部分が全くないことがうかがえるのに、前述のごとく被告人坂本が最も激しい野次を飛ばしていたと断定的な供述をしていることをも考慮すると、前記中司供述に反する部分、すなわち平尾事務所内において、被告人坂本を含む約二・三〇名の組合員に取り囲まれて、小突かれたり、足を払われるなどの暴行を受けたとの志田の前記供述内容は、事実に反し信用しがたいものであるといわなければならない。

2、次に平尾事務所内で志田が座り込んだ後、座ったままの格好で五・六名の組合員に持ち上げられて同所西出入口から運び出され、レミコン事務所に至る途中コンクリート舗装の地面に落ち、その後七・八名の組合員に胴上げされた状態でレミコン事務所入口から同事務所内に運び込まれた、という志田証人の供述も措信し難い。

すなわち《証拠省略》によれば、平尾事務所西出入口及びレミコン事務所出入口は、いずれも片開きの引き戸であって、その幅は、双方とも約八四センチメートルしかない事実が認められ、二人の人間が並んで同時に出入することも必ずしも容易でないと考えられるのであって、強く抵抗する人間を数名の人間が無理に拘束して持ち上げたままこれらの出入口を出入することは、所論指摘の如く不可能であるとまではいい得ないとしても、著しく困難であることは明らかであり、少なくとも、そのような行為がさしたる支障もなく行われ得たように供述する志田証人の供述には合理的な疑いが残るといわざるを得ない。

さらに《証拠省略》によれば、志田証人が平尾事務所内で座り込んだ後外に連れ出されたと供述する午後三時四〇分ころには、平尾事務所内や神戸工場構内に、当日の全自運関生支部の行動に備え、カメラや八ミリ撮影機を持った採証班を含む約三〇名の小野田レミコン各工場から派遣された従業員が、全員ヘルメットに安全靴を着用して散在していたこと、志田が神戸工場に入った午後二時三〇分ころより相当前から右工場構内に私服警察官が入っており、また志田は平尾事務所内に入った時点で警察への連絡を中司に依頼し、これを受けた中司は、灘警察署に電話をかけているのであって、警察への連絡は極めて容易になし得たことの事実が認められ、右事実によると、小野田レミコンの最高幹部である志田に対する同人の供述するような異常かつ危険な態様の逮捕連行が行われたとすれば、その時点でただちに小野田レミコンの従業員らによる救出活動や警察への介入要請がなされるはずであるのに、右時点で志田の救出をめぐって激しいもみ合いが発生したとか警察の介入が迫ったとかいうことをうかがわせる事実は証拠上全く認められず、かえって志田が平尾事務所から出てレミコン事務所に入る様子を構内で目撃した関西小野田レミコン神戸工場長の原審証人怒和昭雄は、右目撃直後、平尾事務所に入ってお茶を飲むなどして一服し、レミコン事務所に入った志田と組合員らの話し合いが三〇分程度であれば警察に連絡する必要もないと感じていた旨、同工場の責任者として格別緊迫感を味わうような経験をしたとは思われない供述をしているのである。

のみならず、怒和証人の目撃供述を検討すると、同証人は、構内に立っていると、平尾事務所からパラパラと(またはだっと)一団の人が出てきたと思うと、そのなかの背広を着た人が自分の約二メートル前付近で「座り込んだというか、尻もちをついたというか、いずれにしてもしゃがんだ」のでそれが志田社長だとわかった、それから組合員らが志田に対し社長らしくせんかいというようなことを言って、かかえ込むようにして事務所の中にだっと入った、と供述しているのであるが、原判決も指摘する如く、同証人は、小野田レミコン神戸工場の最高責任者たる地位にある者であって、必ずしも組合側に好意を持っておらず、現に右の目撃供述以外の点では組合側に不利と解されるような供述をもしているのであるから、正確に観察し得る近い地点でなされた右の目撃供述の信用性は極めて高いといわざるを得ない。

これらの事情を併せ考えると、志田証人の供述するような態様で同人が逮捕連行されたという事実には、事実に反したり誇張されている部分が多いという疑いが強く、むしろ歩いて平尾事務所を出た志田が途中で自ら座り込み、その後また歩いてレミコン事務所に向ったという被告人武、同西岡らの前記供述内容の方が真実に近いものと認められる。

所論は、怒和証人は、志田の連行されるのを目撃する直前約二時間ほどの間、立ったままの状態で組合員らから種々の追求を受け、貧血気味であったことも加って疲労困ぱいし、茫然とした精神状態で断片的印象的に事態を目撃したところを供述しているのであるから、その目撃供述は、志田証言を否定するものではなく、むしろこれを裏付け補強するものであると主張するけれども、怒和証人が所論のいうように組合員らから追求を受けたとしても、それと右目撃との間には少なくとも一〇分以上の時間が経過していたことが証拠上認められ、同証人の供述を仔細に検討すれば、同証人が疲労しているといっても志田社長の連行されるのを継続的に目撃し得ないほどの高度の疲労状態にあったものではなく、現にその目撃は、断片的にではなく、継続的になされたことが明らかであり、しかも右目撃は、前記のとおり、正確に観察し得る近い位置でなされているうえ、その供述内容が具体的で終始一貫性を保持していることに徴するならば、怒和証人の前記供述と明らかに牴触する志田証言の方が信用性を欠くものといわなければならない。

所論は、さらに《証拠省略》中には、志田証人の供述するような逮捕連行態様を裏付ける部分があると主張するのである。

なるほど中司証人は、主尋問に対して、平尾事務所内で、前述の如く、志田と被告人武ら組合員五・六人らのやりとりを目撃した後、組合員らに対し出て行けと大声で叫んだところ、組合員らは、志田の足と背中を右事務所内に入っていた人数全員五・六名でかかえたというか、担いだような格好で運び出したが、西出入口で志田は鴨居の部分に手をかけて抵抗したこと、しかし相手の人数が多いので簡単にはずされて出されたこと、それからレミコン事務所に入るまでに途中で落ち、その後持ち上げられて胴上げ状態でレミコン事務所に入れられるのが、平尾事務所内から見えたことを一応具体的に供述したのであるが、反対尋問の際には、平尾事務所から志田を連れ出した組合員らは志田を囲むように一つの塊がぱっと出て行くようであったから、西出入口は幅が二メートル弱あったことは間違いないと供述したため、弁護人から右の幅が約八四センチメートルしかないことを指摘されるや、どのように運び出したか細かいことは記憶していないと供述を変え、宙吊りかどうかもわからないのではないかという質問にうなずいたり、さらには志田が外に出てからの様子についても距離的に離れたり、周りの組合員の数が増えたりしたため、漠然としか見えなかったと供述するに至り、供述者自身、志田が平尾事務所から連れ出された状況については、必ずしも正確に目撃し明確な記憶を有しているものではないことを認めているのであるから、右供述内容は前記志田供述を裏付けるに足りるものとはいえない。所論は、志田証人が平尾事務所西出入口を出る際、上方の「桟に手かけた」と供述しているところと、中司証人が「鴨居に手をかけた」のを見たと供述する部分とが極めて類似し特徴的である点を重視すべきであると主張するが、《証拠省略》によれば、西出入口の高さは、約一・七メートルであって、歩きながらその上方の桟に手をかけることは容易であると認められること、志田は右出入口を出る直前床に座り込むなどして、平尾事務所を出ることを躊躇していたのであるから、歩いて右出入口を出ながらその上方の桟に手をかけて抵抗の姿勢を示すことも不自然な事態ではないことの二点を考慮すると、右桟に手をかけた行為が同人が右出入口を歩いて出たとの事実と矛盾するものではなく、必ずしも同人が持ち上げられてこのかなり狭い出入口を運び出されたという事実を裏付けるものとは考えられない。

次に藤田供述について検討してみても、小野田レミコン神戸工場業務課長で組合対策をも担当していた同証人は、捜査段階から原審証人尋問の主尋問の段階に至るまで、平尾事務所の外からガラス越しに中をのぞき込んでいると、志田は、組合員に両手及び足を持たれて宙吊りの状態で外に出され、その後途中で体をゆさぶってひざまづいたが、六・七人の組合員から抱き起こされ抱きかかえられてレミコン事務所に入って行ったと供述していたのであるが、反対尋問の際には、志田が連れ出されるのを目撃したのは平尾事務所内であり、同人の出たあとを追って外に出た後、同人が落ちたのを目撃した旨、目撃位置について重大な変更をし、かつ右事務所を出てからレミコン事務所に至るまでの志田の動きを目撃した位置についても、同人を囲む組合員の前方、南側の横、西側の横などと著しい混乱をきたしているのであって、その供述内容には不自然、不可解な変遷があり、果たして正確な観察に基づいて供述しているかどうか疑わしいといわざるを得ず、志田証人の前記供述を補強し、その供述に関する前記のような疑問や矛盾証拠を排斥し得るほどの高度の証明力を有するものでないことは明らかである。

なお、原審において「犯行現場の状況」を立証趣旨として検察官から申請され、同意書面として採用の上取調べられた司法警察員作成の前記実況見分調書(昭和四八年一二月一七日実況見分実施)において、立会人となった志田が、平尾事務所とレミコン事務所の中間地点を指示して「ここで一度座り込んだのです」と説明し、レミコン事務所入口を指差し「この入口から連れ込まれたのです」、さらにレミコン事務所入口から志田が着席した位置まで歩きながら「このコースで連れ込まれたのです」等と説明しているところ、本件発生時に最も近い時期に実施された右実況見分の際における右のごとき志田の指示説明内容も、前記志田証人の供述内容の信用性を減殺するものであることが明らかである。

3、以上説示したところを総合すると、平尾事務所からレミコン事務所に至るまでの間において、被告人西岡、同武、同坂本らが公訴事実記載のように、志田社長を逮捕連行した事実を認めるに足りる証拠はないといわざるを得ず、原判決が、本件証拠によっては、以下の事実、すなわち、本件当日の午後三時四〇分ころ、平尾事務所内において、被告人武、同西岡は、ほか五・六名の組合員(被告人坂本はこれに含まれていない)と共に志田社長と話し合い中、中司和之が「ここは平尾の事務所だから出て行け」と怒鳴ったため、レミコン事務所に行って話し合いを続けようと考え、志田に対しレミコン事務所へ行くよう促したが、同人がこれを拒否したので、被告人武が志田の肩付近に手をかけて催促したところ、同人は、自ら座っていた椅子から降りて床の上に座り込み、同行するのを拒否したこと、そこでその場にいた右組合員らがさらに志田の肩を軽く叩くなどして催促したところ、同人が「さわるな」などと言いながら立ち上ったので、被告人西岡、同武ら組合員が志田の背後から押して同営業所西側出入口から同人を出し、同人を取り囲み一団となって、同出入口から約一二メートル余距ったところに南出入口のあるレミコン事務所に向ったこと、その中間地点付近において、志田が突然地面に腕組みして座り込んでしまったため周囲の組合員らが「社長へたり込んだぞ」「駄々っ子の真似するな。立たんか」などと言ったのに対し、志田は「全自運と徹底的にやる」などといいながら立ち上ったので、組合員らが同人を抱えるようにして小野田レミコン事務所へ南出入口から連れて入ったことの各事実を認め得るにすぎないとした原判決の事実認定は優にこれを肯認することができる(なお、平尾事務所西出入口から志田が出る際に、被告人ら組合員が背後から同人を押し出したとの原判決認定事実については、これに対する直接証拠はないけれども、前記出入口の桟に手をかけて同事務所から出されまいとしたとの志田証人の供述その他の関係証拠から推認し得るところである。また、原判決は、その理由第三、二、「被告人らの本件所為の相当性」の部分において、被告人らの行為を「レミコン事務所へ志田を連行したものである旨」、また「連行するについて行使した有形力も平尾事務所の西出入口から志田を押し出し、取り囲んで連行したにとどまる旨」判示しているが、右判示は、もとより逮捕の構成要件に該当する外形的事実を認定したことを意味するものではなく、レミコン事務所内における被告人らの行為の相当性を判断するにあたり、その行為に及んだ経過に属する一事情として同事務所内に至るまでのいまだ逮捕に至らない連行行為を摘示したものと解するのが相当である。)

二、レミコン事務所内における状況

右の状況についても、志田証人は、原審公判廷において、公訴事実に沿う供述をし、ことにレミコン事務所内奥の机の前にある椅子のところで胴上げ状態から降ろされて、椅子に座らされたこと、六・七〇人の組合員が前後左右を取り囲み、四、五回出してくれと言ったにもかかわらず「釈明せい」「しぶとい奴や」等と怒鳴られ、肘、膝で小突かれたり、組んだ足をはずされたりしたこと、被告人坂本から二本の指を揃えて、額を強く弾くようなことを二、三〇回もされたこと、さらに同被告人は、お前が兵糧攻めをやっているんで妻子が苦しい、どの位苦しいか教えてやろうかと言って、ネクタイの結び目を片手でつかみ、他方の手でネクタイの細い方を引張って首を締めたこと、組合員の矢富が眼前でとんぼ取りのように指をくるくる回したこと、組合員の赤胴から背中を力一杯叩かれたこと、氏名不詳の組合員から耳元で大声を出されたこと、被告人武が勝手に小野田セメント株式会社(以下単に小野田セメントともいう)東京本社の電話番号を回して、受話器を突き出したのでこれを受け取り、「今全自運の人達一〇〇名位にとり囲まれておりますが、御心配なく」と言って切ったこと、その後椅子をゆすられたので立ち上ったところ、被告人坂本が靴を脱がせてそろばんの上にすわらせてやろうかと言ってかがんで靴を無理に脱がせ、隙を見て履くとまた脱がせるようなことが四・五回あったこと、午後四時五〇分ころになって組合員らに無理に、同事務室と簡易間仕切りで区切られた応接室内に連れ込まれたこと、応接室内では被告人三名と志田のみとなり、種々追求を受けたのに対し、詳細に反論を加えたこと、話が終った段階で被告人武がノートを取り出して「社長、確認する」と言ったが、約束めいた話があったら全部取り消すと言って拒否すると、被告人三名に応接室から押し出されたこと、そこで再び事務室内に出るとなお五・六〇人ほどの組合員がおり、被告人武が「ただいまから社長の説明がありますから」と言ったが説明を拒否していると、また応接室内に入れられたこと、その時は被告人坂本のみが残り、被告人武と同西岡はどこかへ出て行ったこと、その後一〇数名の小野田レミコン従業員が事務室内に入ってきた様子で、そのうち二名が応接室内に入り、窓から逃げて下さいと言うので窓を開けようとすると矢富に制止され、応接室の鍵を外からかけられたが、数分後機動隊が入ってきて救出されたことを具体的に供述しているのである。

しかしながら、前述したところから明らかな如く、志田証人の平尾事務所からレミコン事務所に至るまでの間の状況に関する供述内容には、同人を取り囲んだ組合員の数や包囲態様、連行の状況やその際における暴行の存否等について、事実に反したり誇張されている部分が多い疑いが強く、にわかに措信し難いと認められるが、このことよりすれば、レミコン事務所における状況に関する同証人の供述にも少なくとも誇張の疑いがあるものと考えざるを得ないことに加え、レミコン事務所内にも関西小野田レミコンの管理職ら数名が入って志田のすぐ後方等に散在し、かつ右事務所に隣接する試験室には、小野田レミコンの従業員が多数待機していたのであるから、これら会社側の従業員らにおいて目撃状況を即時警察官に通報し得る態勢にあったと認められ、さらには、被告人らにおいてもあるいは私服警官が同事務所内に入っているかもしれないという程度の認識があったことが証拠上うかがえるのであるから、被告人ら組合員において、そのような場所で、あからさまな暴力行為に及ぶとは考えにくいことをも併せ考慮し、被告人ら三名及び組合員である原審証人木村文作、同野田誠らがレミコン事務所においても暴力行為の全くなかったことを供述していることと対比して検討すると、志田の供述中の明白な暴力的行為、すなわち志田の身体を小突く行為、額を多数回弾く行為、ネクタイを締め上げる行為、耳元でことさら大声を出す行為、背中を力一杯叩く行為等の存在には、疑問を抱かざるを得ない。

なるほど、《証拠省略》には、志田の供述するような暴行があったことを裏付けるかの如き部分があるが、以下に説明する如く、いずれも志田の右供述を効果的に補強し得るに足る信用性を有しないものと考えられる。

すなわち、藤田供述については、同証人は、志田がレミコン事務所に入った後、二、三回同事務所を出入りしており、終始その場にいたものではないと言いながら、志田の供述する態様の暴行をほとんどすべて目撃したという内容となっている点、一方被告人坂本が志田に対し、指をくるくる回したとか、耳元で大声を出す行為をした等とその行為者について志田供述と異なる内容の事実を断定的に供述している点、前述の如くレミコン事務所に入るまでの状況についての同人の供述について不自然な点が多い点等を考慮すると、それほど志田供述の真実性を裏付け得るものであるとはいえないと考えられる。また、当審証人林修治の供述についても、同人の供述は、本件発生後約一〇年を経過してなされたものであって、志田と組合員らとのやりとりの詳細は不明であるとしながら、暴行態様についてのみはなはだ具体的に供述していること、さらには同証人が、本件当時関西小野田レミコンの輸送センター所長の要職にあり、本件発生後に、大阪市内で開催された関西小野田レミコンの全自運対策会議に出席し、志田らの本件当日の状況についての報告を聞くなどしており、自己の体験に、右報告内容が加味されている疑いがあることなどの諸事情に徴すると、高い信用性をおき難いと考えざるを得ない。そしてその他に、前記志田供述の真実性を担保すべき証拠はなく、志田の供述するような暴行は認定し得ないというほかはない。

とはいっても、外形的暴力行為を除く点においても、志田、藤田らの各証言がすべて信用し得ざるものではなく、関係証拠を総合すれば、午後三時四〇分ころから午後七時ころまでの間、レミコン事務所において、被告人ら二・三〇名の組合員が志田を取り囲んだり、応接室内に連れ込んだりして、その間威圧的な文言を発し、同事務所から出してほしいという志田をして脱出を著しく困難な状態に陥らせたという外形的事実は動し難いといわなければならない。

すなわち、後述の如く、志田は、小野田レミコンと全自運の組合らとの労使関係性を全く否定し、同組合員らとは話し合いの余地がないとの立場を終始とり続けていたのであって、レミコン事務所に入って間もなく前記平尾事務所におけると同様の押し問答となった際に、出たいという趣旨の発言をしたという志田証人の供述は十分合理的であるし、このような志田の態度に到底納得し得ない被告人らが、なお誠意ある回答を求めて、志田を取り囲んで帰そうとせず、「何とか言え、しぶとい奴や」「そろばんの上に座らせてやろうか」等と威圧的文言を発したり、ネクタイがゆがんでいると言いながら志田のネクタイに触れたり、こっちを向いてしゃべるようにと指を顔前で回したり、肩に軽く手を触れるようないやがらせ的な行為をしたことは、被告人ら三名が、原審公判廷において、かかる外形的行為の存在したことを認める供述をしたことからも明らかであるといわなければならない。もっとも被告人らは、「そろばん云々」は、兵糧攻めにあった組合員の家族の気持がそろばんの上にすわるように苦しいことを言わんとしたものであるとか、ネクタイについては単にゆがみを指摘したにすぎないとか、指を出して話す癖のある組合員がいたとか、その趣旨を陳弁しているのであるが、レミコン事務所内における志田の応答態度に対する組合員らの怒りを考慮すると、いずれも不自然であって、その陳弁は到底措信できない。右のように被告人らが、レミコン事務所を出たいという志田を帰さずに威圧的文言を発するとともに、いやがらせ的行為をしたことに加え、結局志田は、これを救出しようとした小野田レミコンの従業員によっては解放されず、午後七時ごろ機動隊員によって組合員が排除されることによって右事務所を出ることができた事実にかんがみると、被告人らの行為が、志田の脱出を著しく困難ならしめる行為にあたることは否定し難いというほかはない。

以上説示したところによれば、原判決が、関係証拠により、被告人ら三名は、午後三時四〇分ころから午後七時ころまでの間、レミコン事務所において二・三〇名の組合員らとともに、志田を取り囲み、公訴事実記載のような暴行は用いなかったものの威圧的文言を発するなどして志田の行動の自由を制約し、その脱出を著しく困難ならしめたとの事実を認定し、その具体的事実として、約二・三〇人の組合員とともにレミコン事務所内に入った被告人ら三名は、同事務所内の椅子に着席した志田の左右及び背後のすぐ近くに至ったが、他の組合員もその付近や同事務所内の各所に散在し、他方会社側の従業員も数名が同所内に入り、志田の後方その他に別れて位置し、その他の神戸工場従業員や顧客も同所内に出入りしているような状況であったこと、そのような状況下で被告人武が志田に、関西小野田レミコン尻無川工場における不当労働行為について釈明を求め、その件で団体交渉に応じるよう要求したのに対し、志田が沈黙したため、組合員らが口々に「何とか言え、釈明せい。しぶとい奴や」などと大声を張り上げ、被告人坂本においても、「お前が兵糧攻めをやっているんで妻子は苦しい。どの位苦しいか教えてやろうか」とか「そろばんに座らせてやろうか」などと威圧的文言を発したりしたが、その後志田がこういう暴力状態の中では回答することができないと言い出したので、被告人らの提案により代表者を絞って話し合いを継続することになり、そのため被告人三名と志田のみが同事務所奥の間仕切りされた応接室に入り、事務所内には約一〇名の組合員と二・三名の小野田レミコン従業員を残すのみとなったこと、その後応接室内で話し合いが続けられたが、内容的には平行線をたどるばかりであったところ、そのうち同工場外に待機していた警察官から、組合の代表者に会いたいとの申出があったため、被告人武及び同西岡が工場正門前に出向いて応待したこと、その間に小野田レミコン事務所東側にある試験室内で待機していた応援部隊数名が志田を救出しようとして同事務所内に乱入したが、その場の組合員に阻止されて果すことができなかったこと、結局同日午後七時ころ同所に入ってきた機動隊員により組合員が排除され、志田は同所を出ることができたことの各事実を認定したのは、正当としてこれを首肯することができる。

その他所論がるる主張するところにかんがみ、記録を精査し、当審における事実取調の結果を参酌して検討しても、原判決に所論の事実誤認は認められない。論旨は理由がない。

控訴趣意第二、二(法令の解釈、適用の誤りの主張)について

論旨は、要するに、原判決は、志田貞夫には被告人ら組合員が要求する団体交渉に応ずべき義務があり、被告人ら三名の原判示行為は、その目的が団体交渉の要求という正当なものであること、志田を連行するについて行使した有形力の程度も比較的弱く、連行した距離も約一二メートル余りにすぎないこと、同人に対する監禁も同人が団体交渉の要求を拒否し続けたことなどに誘発されたものであり、その時間も同人が右のような態度をとり続けたという状況下では交渉時間として特に長時間とはいえないこと、本件の機会を逃すと団体交渉が著しく困難になるという緊急状態下に偶発的に発生したやむを得ないものであること等の諸事情を考慮し、被告人らの行為は、労働組合の活動としてなお相当性の範囲を逸脱しているとは認められないとして、労働組合法一条二項、刑法三五条を適用して被告人三名に無罪の言渡しをしたものと解されるが、関西小野田レミコンと被告人ら全自運関生支部組合員らとの間には労使関係がないので、本件に労働組合法一条二項を適用する余地はなく、仮に労使関係性が認められるとしても、被告人らの本件行為は、その目的、手段態様、緊急性等諸般の事情に徴すると到底労働組合の活動として正当なものであるとは認められないから、本件は、労働組合法一条二項、刑法三五条を適用すべき事案ではなく、右各条項を適用した原判決は、法令の解釈適用を誤っており、右誤りが判決に影響を及ぼすことが明らかである、というのであるが、これに対し、当裁判所は、次のとおり判断する。

一、団交応諾義務について

まず被告人らの所属する全自運関生支部と小野田レミコンとの関係について案ずるに、《証拠省略》によれば、以下の事実が認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

1、関西小野田レミコンは、本件当時、資本金が五〇〇〇万円で、従業員約八〇名を有し、京都、茨木、尻無川、神戸の四工場において生コンを製造販売する会社であるところ、右資本金は、全額小野田セメントが出資し、その役員はすべて小野田セメントから派遣された出向社員によって占められ、その従業員はその大半が小野田セメントの社員の身分をも兼有している小野田セメントの子会社である。

他方東海運株式会社(以下単に東海運ともいう)は、本件当時、資本金約七億円、従業員数一六〇〇名ないし一七〇〇名を有し、その主たる業務は小野田セメント関係の海上運送であって、株式の六〇%は小野田セメントが保有し、一部役員に小野田セメントの社員が出向しており、小野田セメントの強い影響下にある会社ではあるが、特にその大阪陸運支店尻無川出張所(以下単に東海運尻無川出張所ともいう)は、専ら関西小野田レミコン尻無川工場(以下単に尻無川工場ともいう)内の小野田セメントないし関西小野田レミコン所有の土地建物その他の設備を使用して営業し、東海運尻無川出張所の保有するミキサー車は、すべて荷主限定免許によって、尻無川工場の生コン輸送に専従することが義務づけられ、同出張所にはその余の輸送業務は存在しない。そして関西小野田レミコンと東海運大阪陸運支店との間に、尻無川工場の生コン輸送に関し、輸送業務請負契約書が作成されているが、請負料金及び支払方法は、双方協議の上決定するとあるほか数ケ条の極めて抽象的簡略な約定が存在するにすぎない。

2、生コンは、その製造工場内のバッチャープラントと呼ばれる機械内でセメントと砂利、砂、水、混和剤との混練を開始してから約一時間半内(でき得れば三〇分以内)に需要家の現場に届けないと生コン特有の固結性のため商品価値がなくなり、しかも品質保持の責任が製造者側に負わされており、他方、セメントは大量生産が可能であるものの、長期間の保存ができないため、生コン製造会社としては、生コンを秩序正しく迅速に輸送して、セメントの流通が滞ったり、輸送遅滞を生じさせて商品価値を失うことのないようにすることが最も重要な課題であるから、昭和三五年ころまでは、生コン製造会社がミキサー車と運転手を直接保有することが一般的であった。ところが、その後交通事故対策、労務対策等の必要から輸送部門を別会社として分離独立させたり、下請会社と契約することが多くなったものの、前述の如く需要家の現場に届ける迄生コン製造会社が品質保持責任を負う性質の営業であり、従って輸送は製造工程の一部ともいえるため、輸送部門を別法人としながらも、輸送の迅速、安全、確実を期するため、一般的に輸送会社に対し、強い指導力影響力を確保しようと努め、また輸送効率を上げて利益率の向上を計るため、一工場一輸送会社の体制をとって管理を容易にし、ミキサー車の運転手の労働時間、労働内容にまで、直接決定力を持つのが通常である。

前記尻無川工場には、本件当時例外的に東海運尻無川出張所のほか近畿レミコン株式会社(以下単に近畿レミコンともいう)という輸送会社が入っていたが、これは、昭和四六年ころ、同工場の付近にあった関西小野田レミコン塩山工場の閉鎖に伴い同工場の輸送を担当していた近畿レミコンを尻無川工場に移したために生じた事態であって、東海運尻無川出張所が関西小野田レミコンの専属輸送会社である実態に特に変りはなかった。

3、生コンの注文が需要家から本件当時存在した生コン製造会社の協同組合である阪神生コンクリート供給協同組合を経由して関西小野田レミコン尻無川工場に到達すると、同工場出荷係において、東海運尻無川出張所の配車係の意見を聞いたうえ、各注文主の現場との距離、時間、数量品質等を調整し、現場名、施行者、生コンの品質、数量に応じた納入開始時間、何分間隔で納入するかの各事項を具体的詳細に記載した一日分の出荷予定表を作成し、これを前日午後三時までに東海運尻無川出張所に手交し、これに基づいて同出張所は、右予定表を同工場内にある運転手休憩室に掲示するとともに、どの輸送にどの運転手をさし向けるかを決定する。その指示に従って翌日運転手が出勤すると、ただちにミキサー車をバッチャープラントに入れるが、その出入の指示は関西小野田レミコン尻無川工場のオペレーターから受けることとなる。次いで同工場の出荷係が作成した納入書を受け取った後出荷予定表どおりの輸送を行うのであるが、実際に、どの車両が、どこの現場にどの位の量の生コンを輸送したかについては、納入書と一綴になった受領書に注文主の署名または押印を受け、これを集計した出荷実績表にあらわされ、右原本は関西小野田レミコン尻無川工場で作成し、写を東海運尻無川出張所に交付し、輸送料金は、右出荷実績表に基づいて支払われる。

しかも右輸送料金の主要な部分を運転手の賃金が占めているうえ、前記の如く運転手に対する労務その他の管理が輸送の確実性に影響し、ひいては生コン製造会社の業務成績に直接影響するため、生コン製造各社は定期的に輸送委員会を開催して、各社の輸送部門の賃金、一時金等の水準について情報交換するとともに、高水準になっている輸送会社についてはその輸送会社に対応する製造会社に反省を迫ることもあり、関西小野田レミコンにおいても、東海運尻無川出張所所属運転手の賃金水準、一時金の基本額、輸送効率向上のための労働条件の変更、労働組合の動向について強い関心を持つとともに、右の諸点の基本的部分を自らの判断によって決定していた。

そのため右の実情を反映して、昭和四八年の夏期一時金の決定のための全自運と輸送各社との集団交渉に東海運が不参加表明をしたのに対し、全自運と小野田セメント、関西小野田レミコンとが小野田セメント大阪支店会議室内で交渉を持ち、小野田セメントにおいて東海運に対し、集団交渉の決定を遵守させるよう指導するとの約束がなされて解決したり、全自運東海運分会から東海運尻無川出張所における休憩室、組合事務所の使用等に関し第二組合員との間に差別があるとの不当労働行為の救済命令申立をしたことに関し、関西小野田レミコンにおいて休憩室や組合事務所を新設するとの内容で和解解決したことがあるほか、昭和四八年六、七月ころ、小野田レミコンに対する東海運と同様の関係にある泉南小野田レミコン株式会社の輸送会社である北村組に全自運の分会が発足した後、受注額が極端に減少したのは、小野田セメント、泉南小野田レミコン株式会社の意図的な出荷減のためであるとの同分会の主張に関し、全自運と右両社との間に数回の団体交渉が持たれて解決したような、それぞれ実態に即した交渉がなされた先例もあり、また交渉事項によっては、そのような方法が適切であることは、本件発生後、昭和五二年に至って東海運尻無川出張所と前記近畿レミコンとを合併統合した株式会社高洋と全自運との間に和解がなされた際、小野田セメントと関西小野田レミコンが立会し、和解条項の遵守を誓約し、そのためその後の労使の交渉が円滑に進んでいることからも明らかとなっている。

4、以上の事実関係、ことに関西小野田レミコンは、親会社である小野田セメントを通じて、東海運(尻無川出張所)に対し、資本関係や役員派遣によって事実的、経済的に影響力を行使しているのみならず、同出張所運転手全員に対し、前記出荷予定表を作成提示することによって、直接的に毎日の労働時間や労働内容を決定していること、個々の労働者の賃金を直接決定してはいないが、前記輸送料金の支払いを通じて、総体としての労働者の賃金や一時金の水準に決定的影響力を持っていること、その他運転手らの利用する施設、用具のうち、ミキサー車を除く事務所、休憩室、組合事務所、プラント、洗車場等はすべて関西小野田レミコンないし小野田セメントの所有であることの各事実に徴するならば、所論指摘の如く関西小野田レミコンと東海運尻無川出張所従業員との間に個別的に労働契約が締結されてはおらず、同出張所は、形式上もとより関西小野田レミコンとは別法人の一部門であるが、実質的には関西小野田レミコン(尻無川工場)の生コン製造販売の不可欠な要素としての運送部門を形成しており、また関西小野田レミコン(尻無川工場)と東海運尻無川出張所の従業員との間には部分的にせよ直接的な支配従属関係が認められ、同従業員らの労働条件の中には関西小野田レミコンが決定権を持ち、東海運がその判断において決定し得ない事項が多い。従って、これらの事項、例えば、各運転手に共通の休日や労働時間の決定及び変更問題、後述の応援車問題等関西小野田レミコン系各社に共通して生起する諸問題、尻無川工場内における施設の利用や制限の問題等については、尻無川出張所勤務の運転手が所属する労働組合である全自運東海運分会としては、労働者の経済的地位の向上のため団体交渉を行おうとする場合、関西小野田レミコンをその相手方としなければ実効を期し難いことは明白であって、右のような場合、関西小野田レミコンは、東海運と重畳して同分会所属の組合員に対し、労働組合法七条二号の使用者に該当するものと解され、交渉事項が右のように東海運(尻無川出張所)において決定し得ないものである場合は、関西小野田レミコンは、労使関係性を否定して全自運東海運分会との団体交渉を拒否することはできないといわなければならない。

関西小野田レミコンが、東海運尻無川出張所の従業員の労働時間等に関し、一定の影響を及ぼすのは、生コン輸送の特殊性に付随する反射効果にすぎず、両者の間に支配従属関係は認められないとする所論は、誤った事実を前提とする主張であって、到底採用できず、その他所論のるる主張するところにかんがみ、記録を検討しても、東海運尻無川出張所従業員と関西小野田レミコンとの間の労使関係性を肯定した原判決に法令の解釈、適用の誤りは認められない。論旨は理由がない。

二、本件行為の相当性

1、本件に至る経緯

《証拠省略》を総合すると、本件発生の経緯として以下の事実が認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

関西小野田レミコン(昭和三一年頃設立された全国規模の小野田レミコン株式会社が昭和四一年四社に分割されて設立された会社)の尻無川工場は、昭和三一年に建設され、同時に東海運大阪陸運支店尻無川出張所が同工場内に新設されたのであるが、同出張所従業員により翌昭和三二年全自運東海運支部が結成され、同支部は、上部団体の組織変更に伴い昭和四二年に全自運関生支部に東海運分会として加盟することとなった。

ところが、全自運東海運支部の結成後、昭和三七年ころ、東海運(尻無川出張所)において、同支部との間に結ばれていた残業補障協定を一方的に破棄するとともに、他方で小野田レミコンが尻無川工場から五〇キロも離れていない場所に小野田レミコン塩山工場を建設し、同時に全自運に加盟していない運転手のみを雇用する近畿レミコン株式会社を同工場の輸送部門として設立し、尻無川工場の出荷を激減させる措置をとったため、全自運東海運支部組合員が経済的に追いつめられ、組織が弱体化したことがあったが、結局昭和四六年には右塩山工場が閉鎖され、近畿レミコンは、尻無川工場内に既設のバッチャープラント一基の外に一基を新設して、同工場の生コンを東海運尻無川出張所とともに輪送する会社となった。

この間、全自運では、一連の東海運の行為は不当労働行為であるとして同社を相手に救済申立をなしたところ、昭和四八年五月に中央労働委員会の斡旋により小野田セメント、小野田レミコンの関与によって和解し、前述の如く全自運東海運分会のための休憩所、組合事務所を尻無川工場内に新設すること、非組合員との間の賃金格差を是正すること等の成果を獲得し、そのため当時一九名の東海運尻無川出張所所属の運転手のうち四名しかいなかった全自運東海運分会の組合員が一三名に増加し、同年八月二七日ころ、新体制になって第一回目の臨時分会大会を開き、今後の運動方針を協議した。

その際、組合員からの要求として、東海運(尻無川出張所)所有のミキサー車の一部が関西小野田レミコン尻無川工場に設けられた同社輸送センターの一方的指示によって、夏の間北海道の小野田セメント系列の生コン工場に応援として派遣されたことにより、その車の運転手について残業手当や洗車手当の減少をきたし、慣れない他人のミキサー車に乗ったり、誘導員の仕事に変ったりすることを余儀なくさせられている事態を解決してほしいとの強い要望が出され、その結果、①応援車について、現在出向している車両を取り戻し、今後減車となるような派遣をしないこと、②尻無川工場内廃棄物処理の改善、③洗車場の修理の三項目を東海運(東海運については、同社のみに関係する六項目を付加)と関西小野田レミコンに要求することとし、申入書を作成し、九月三日に両社に宛て提出した。そのうち、関西小野田レミコンについては、全自運東海運分会の代表三名が福岡勉尻無川工場長代理に面会して申入書を手交したところ、当初受取りを拒否していた同人も右代表が要求項目は小野田レミコンに対するものだからと説得すると、一応受取っておくと言って受領したが、これに対して何の応答もなされなかった。一方九月一一日ころ及び二一日ころの二回にわたって行われた東海運(尻無川出張所)との間の団体交渉では、東海運側は、応援車を出すことの問題を含め前記各項目についていずれも関西小野田レミコンに伝達すると回答するのみで話し合いは進展せず交渉は決裂した。そこで分会では、同月二七日ころから尻無川工場の門前に立看板を立てたり、ミキサー車にポスターを貼るなどして関西小野田レミコンに団体交渉に応ずることを訴える等の宣伝活動を開始した。

ところが、そのころから徐々に夜間の作業が減少し始め、次いで昼間の出荷も極端に減少し、遂にはほとんど残業手当がなくなり、一〇月に入るや、関西小野田レミコン側では近畿レミコンと東海運尻無川出張所が共同で使用していた二基のプラントの間を鉄塀で仕切るとともに、洗車場をブロック塀で区分し、工場を大きく二つの区域に分割して東海運尻無川出張所の従業員と近畿レミコンの従業員との接触を不能とし、さらに同工場内にある関西小野田レミコン事務所及び東海運事務所(東海運大阪陸運支店と同尻無川出張所が入っている)の周囲を鉄格子で囲み、右レミコン事務所前の状況、組合事務所周辺の状況を監視する目的の二台のテレビカメラを設置した。

このため、分会の組合員らは、その当時の平均一〇万円前後の収入の約四〇%(四万円ないし五万円)を占める残業手当が得られなくなり、生活に大打撃を受け、しかも右措置は、それまで東海運(尻無川出張所)と東海運分会との間に適用されていた八〇時間残業補障協定(残業の占める割合の大きさにかんがみ、その有無にかかわらず月間八〇時間分の残業手当を支給するというもの)のうち、出荷に協力しない場合には補償しないとの条項を発動したものであるため、東海運尻無川出張所の労働総同盟交通労連関西地方本部東海運大阪労働組合所属の組合員や近畿レミコンの運転手には仕事の減少にもかかわらず残業手当が補障されており、その結果特に新たに全自運東海運分会に加入した九名の組合員に動揺が生じたが、東海運大阪陸運支店長に、残業及び出荷の減少、鉄塀の設置等について交渉しても、それは関西小野田レミコンがやっていることだからどうにもできないとの回答がなされるのみであり、一方分会幹部が一〇月二三日、二四日の二日にわたり、関西小野田レミコン尻無川工場の事務所に赴いて話し合いを求めたにもかかわらず、前記鉄格子に設けられた鉄扉に施錠し、全自運とは面会しないとか、東海運(尻無川出張所)の労使問題は当社に関係ないので面会を拒否すると記載した木札をぶら下げるという全く話し合いのきっかけも見出せないような対応ぶりであり、一一月五日山本同分会執行委員が一人で小野田レミコン尻無川工場従業員の出勤時間に合わせて同工場のレミコン事務所内に入り、右のような措置に抗議する内容の申入書を福岡工場長代理に手渡そうとしたが、結局右申入書も突き返され、ここに打開策に窮した組合では一一月七日全自運関生支部の役員が、親会社である小野田セメント大阪支店に面会を求める方法をとったのであるが、これまで前述の北村組問題等で同支部と面会していた同支店も本件については、ビルの鉄扉を閉鎖し、全自運とは一切面会しないと記載したビラを貼付する状況であった。

一方、小野田レミコン尻無川工場側では、一〇月下旬から幹部職員が頻繁に大阪府港警察署の警備担当者と打ち合わせを繰り返しつつあくまで面会拒否の態度を貫くことを確認し、一一月一七日には、工場周辺の看板等を同月二二日までに組合側において撤去しなければ会社側で撤去するとの内容証明郵便による通告書を全自運関生支部宛に発し、会社側の強い姿勢を告知した。

このような情勢下で、近づく年末を控え、分会員の経済的困窮と組織動揺は、日に日に強まっていったにもかかわらず、分会としては打開策を見出せないという追いつめられた状態に陥った。

そこで、一一月一五日開催の全自運関生支部執行委員会で東海運分会問題が討議され、この問題は本格的な全自運の組織破壊につながる問題であり、その解決方法として、小野田セメント又は関西小野田レミコンの代表者との話し合いの場を設定することを最大目標とすることとし、現状では尻無川工場内においてはその糸口さえも見出せないため、小野田セメント系の各生コン工場に赴き、当該工場において、尻無川工場の出荷減少分の代納をしていないか、労働災害につながる過剰積載をしていないか等を点検するとともに、各工場の労働者と工場幹部に尻無川の実情を訴え、話し合いを開始するよう関西小野田レミコンまたは小野田セメントへの影響力の行使を要請することとし、具体的には、同月二〇日午後全自運の全国統一行動日に合わせ、半日ストを行い、全自運関生支部所属組合員約一五〇名程度を動員し、これを二班に分け神戸工場外一ヶ所に赴き、各工場長に対し、尻無川工場の出荷減少分の代納をせず、かつ前記のような小野田セメントないし関西小野田レミコンに対する影響力の行使をするよう要請するとともに、工場従業員及び神戸工場において輸送を担当する平尾運輸株式会社従業員に対し尻無川工場の実情を訴え、併せて過積みの点検を行うことを目的とする団体行動を行うことを決定した。

一一月二〇日の当日、右決定に従って編成された被告人西岡を責任者とする第一班が神戸市内の三共運輸分会に集合し、所属の六〇ないし七〇名の組合員を、各一〇名程度の交渉班、説得宣伝班、点検班とその他の者とに分けた後、午後一時三〇分ころ、神戸工場に到着し、被告人西岡を班長とする交渉班がただちに怒和工場長に面会を求め、レミコン事務所内及び入口付近で尻無川工場の事態への理解と小野田セメントへの影響力行使の要請を行い、点検班は、代納の有無や過積の有無を調べ、説得宣伝班は平尾運輸事務所付近で運転手らに尻無川工場の実情を訴え説得活動を行った。その余の組合員らは正門付近に待機し、構内には立ち入らなかった。

被告人武を責任者とする第二班は、所属の七〇ないし八〇名の組合員が尼崎市内の大豊運輸分会に集合し、尻無川工場の近くにある今津港湾の生コン工場に代納の疑いがあるとして同工場に赴くため第一班と同様の班編成をしたが、たまたま同工場にはその疑いがないことが判明したことから急拠神戸工場に向うことに方針を変更し、午後二時三〇分ころ神戸工場に到着し、すでに第一班が各種活動を行っていたため、半数ほどが同工場の正門付近に残り、半数は、被告人武らとともに同工場構内にある関西小野田レミコン神戸サービスステーションと東海運灘浜出張所に説得や点検活動のために赴いた。

他方全自運の統一行動日をあらかじめ知っていた関西小野田レミコン側では、何らかの抗議行動がなされることを予測して、各工場からの応援者を含め約三〇名程度の要員に全員ヘルメットと安全靴を着用させ、カメラ、八ミリ撮影機を用意した採証班を組織するなどして尻無川工場に待機させていたところ、全自運の組合員らが前記のとおり、神戸工場に来ているとの連絡が、当日午後一時三〇分ころ、小野田セメント大阪支店にいた志田社長になされたため、志田の指示で右応援部隊はただちに神戸工場に向った。

志田自身も、ただちに車で神戸工場に向い、午後二時三〇分ころ、同工場正門を避け、浜門と呼ばれるところから工場内に入って平尾事務所内に入り、前記応援部隊も、その後間もなく同工場に到着し構内に入って写真撮影などを開始して構内にいた組合員らともみ合いが発生したが、その後、志田が平尾事務所内備付のマイクで「これから出荷をするから組合員は退去するように」との放送を開始したため、組合員らは志田が同事務所内に来ていることを知り、前述の如く、被告人武、同西岡ら六・七名が平尾事務所内に入った。

平尾事務所内とレミコン事務所内では、被告人武を中心に、尻無川工場の残業及び出荷の減少、鉄格子等の設置、団体交渉拒否の姿勢、立看板の実力撤去の通告等の問題について、釈明を求めるとともに、団体交渉に応じるよう要請したが、志田は前記応接室内に入るまでは、東海運(尻無川出張所)従業員とは労使関係がないから話す必要はないとの姿勢を続け、応接室内では、いろいろ反論を加えたが、いずれも会社側の態度を正当化するのみの内容であって、ことに団体交渉に応じるような姿勢は全く示さなかった。

2、本件行為の目的

前記1認定の事実を総合すると、北海道へのミキサー車の派遣問題を中心とする全自運東海運分会の交渉要求は、労働者の労働条件の向上を目的とする労働組合の活動として正当なものであり、右事項が関西小野田レミコンの経営上の必要性から決定される筋合のもので東海運尻無川出張所において全く解決し得ない問題である以上、右分会と労使関係性があり、その問題の解決能力をもつ関西小野田レミコンに対して団体交渉を要求することもまことにやむを得ないところであり、関西小野田レミコンは、これに対し誠実に団体交渉に応じる義務があることは前述したところに徴し明らかであり、これに対し東海運(尻無川出張所)と一体となって残業補償協定を差別的に運用したり、鉄格子を備えて一切の面会を拒否するような対応をした関西小野田レミコン側の態度は、団体交渉に対する基本的理解を欠き、不当なものであるといわざるを得ない。

右の如き関西小野田レミコンの頑なな団交拒否の態度と残業手当の減少による収入の激減によって、組合員らに動揺が生じ、被告人ら全自運関生支部の役員らとしても組織に対する深刻な危機を感じ、しかも年末を控え約二ヶ月間も関西小野田レミコンの会社側幹部と面会もできず、団体交渉の糸口をも見出せなかったのであるからその焦燥感は深く、窮余の策として考え出された、小野田レミコン系列で尻無川工場の代納をしている疑いのあるような他工場の幹部、従業員らへの前記要請行動の目的も、あながち不当なものであると評することはできない。

所論は、被告人らの本件当日の行動目的は、単なるいやがらせのための出荷妨害行為であるというが、前記事実経過と被告人武らの志田に対する前記発言内容に徴し、到底採用し難い見解である。

その後神戸工場において志田に対し被告人らのとった行動は、同工場内において、思いがけなく志田と接触することのできた被告人らが、当初の要請行動の目的を変更して、ただちに同社長に対し臨時の団体交渉を求め、又は団体交渉開催の約束をとりつけようと要求する行動に移ったものと認められるのであるところ、右行動も、前述のとおり、その当時、全自運東海運分会員やその上部団体の構成員である被告人ら組合員が、小野田レミコン側と長期間面会さえできない状態に放置され、右機会に何らかの交渉を行わなければ、一層窮迫し組織が壊滅する危険もなかったとはいえない状態であったことを考慮すると正当であるということができ、また相当の手続を履践することなく、たまたま出会った志田社長に右のような要求をするに至ったことも、右のような状況下にあったことを考慮すると被告人らの本件行為の目的の正当性を失わせるものではないといわなければならない。

3、本件行為の態様

被告人らの前記2の如き正当と認められる要求に対し、志田としては、誠実に事態を解決するための話し合いに応じるか、その場での話し合いが適当でないと考えたのであれば、あらためて団体交渉を開くための日時、場所等についての話し合いを開始すべきであったにもかかわらず、いずれの態度もとらず、東海運分会員とは労使関係がないから団体交渉にもその準備のための話し合いにも応ずるつもりはない、との態度をとりつづけ、組合員らの経済的、組織的に追いつめられた状態にも一片の理解も示さなかったのであるから、これに対し被告人らが粘り強く要求を続けたいと考え、それが原判決の認定した如き監禁状態を生むことになったり、その間に右のような志田の不当な態度に誘発されて、被告人ら組合員の威迫的言辞やいやがらせ的な行為が行われたものと認められる。

もとより団体交渉ないしその申入は、労使の合意、慣行ないし社会通念に基づき、相当の手続をふみ、一定の節度をもって行われるべきものであるが、全自運東海運分会やその上部団体が、前記の如き労働条件の悪化に関し、東海運に交渉を申し入れても小野田レミコンの決定するところであると一蹴され、小野田レミコンからは労使関係がないとして全く相手にされないという、いわば取りつくしまもないという情況下におかれていた前述の事情の下においては、被告人らがたまたま志田社長に会えたことを千載一遇の機会としてとらえ、団体交渉ないしその開催要求として行った前記行為は、緊急な必要に基づくもので、その態様や時間の長さ、時間帯にかんがみても、いまだ暴力の行使と評価されるべきものではなく、かかる交渉のあり方として良識の範囲を特に逸脱しておらず、なお労働組合の活動として相当な行為の範囲内にあるものということができる。

4、結論

以上を総合すると、平尾事務所からレミコン事務所に至るまでの志田の連行行為は、逮捕罪の構成要件に該当しないことが明白であり、そのレミコン事務所内における行為も、労働組合法一条二項にいうところの「団体交渉その他の行為であって正当なもの」に該当すると考えられる範囲内にあって、刑法三五条の適用を受くべきものであると認められ、同旨の判断をしたと解される原判決の法令の解釈適用は正当であるといわなければならない。

その他所論にかんがみ、検討しても、原判決に所論の法令の解釈適用の誤りは認められない。論旨は理由がない。

よって刑事訴訟法三九六条により本件控訴を棄却することとし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 石松竹雄 裁判官 安原浩 裁判官竹澤一格は、退官のため署名押印することができない。裁判長裁判官 石松竹雄)

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